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フレンチプレスの場合、一杯のコーヒーを淹れるのに必要な時間は 4 分程度。液体 をぼんやり眺めながら、考え事をしながら、伸びやあくびをしながら……80 度の湯を注いで待つ時間は、決して長くない。

 

しかし日頃、そんな短い時間を確保できていないことにはっとする時がある。日々は慌しい。

 

仕事がどうとか、学校や家庭がどうとか、特定の誰かの事情に限ったことではない。 最近、世間はどうも忙しい。ひとつのことを為すときには多くの情報を取捨選択し、 最も良いものを選りすぐることができてしまう。何かを語るときには、顔の見えな い所から投げかけられる様々な批判を想定しておかなければならない。自分の思いだけに忠実になるのは案外簡単ではない。


その点、コーヒーは心地よい。

 

豆の産地、処理方法、焙煎、ブレンド、抽出、さらには価格の付け方や流通……目 の前のコーヒーは、想像よりずっと長く、曲がりくねった道のりを経てカップにた どり着く。スペシャルティコーヒーともなれば尚の事であり、バリスタたちがそこに情熱を注いでいることは当然である。

 

それなのに彼らは、口を揃えて「嗜好品ですから」と言う。「どのコーヒーがおいし いですか?」と、つい尋ねたくなるが、答えは決まっている。業界全体に一貫した教育が為されているのかと思うほどに、徹底して。

 

どれほどこだわっていても、どんなに立派なものでも、素朴なものでも、飲む人が 「おいしい」と思うものを正解とする。コーヒーの世界で当たり前とされている感覚は、現代では希少価値が高い。

 

「嗜好品ですから」、ボタン一つで瞬時に注がれる一杯はいつも同じ味で、秋風に渇 いた喉を潤してくれる。しかし、自ら選び手間をかけるコーヒーは、その日その時の感覚を総動員して、忙しい日々の時間ごと温めてくれる。

 

必要な時間はたった 4 分である。

忙しくて、コーヒーを飲むのも忘れていたような日の夜、食事のあとに飲むコーヒ ーはとびきり美味しいですね。
たしかにたった 4 分。それで穏やかになれるなら、すばらしい。

藤原智美 ( 第 107 回芥川賞受賞作家)

フクオカコーヒーフェスティバル実行委員会

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