私は、フルーツのような酸味が香る浅煎り珈琲が好きだ。友人は、チョコレートのよう なコクの効いた深煎り珈琲が好きだ。
私は、量販店の紙コップに注がれた高級豆の珈琲を飲むことを求めている。友人は、コ マーシャルコーヒーを高級カップに注いで飲む空間を求めている。
私は生活の一部として楽しんでいる。友人は偶に利用する贅沢として楽しんでいる。 どちらも正しい珈琲の楽しみ方だと考えていて、友人も賛同してくれている。
だから、珈琲の好みが全て相反していても珈琲について喧嘩したことがない。
そんな私達に悩みが出来たのは、珈琲を本格的に飲み始めて七年以上経った頃に西区の 珈琲店で飲んだ時だった。
落ち着いた雰囲気の店内で飲む珈琲は、苦味の効いた、舌にずっしりと重みを感じる味。 それが極めて美味しかった。しかし、明らかに私の好みではないこの珈琲に『美味いが好 みではない』と感想を述べると、友人が疑問を投げかけてきた。
「美味いと、好みではない、は共存できないだろ」
美味いから、好みだという考え。確かに、主観的な言語が反発している気がした。
しかし、当時の私にはこれ以上の表現方法が見つからなかった。
困った私は、行きつけの店に頼ることにした。『悩みを吐けば三日以内に解決する』こと で評判の、大名にある【シードビレッジ】。
種村店長に打ち明けると、やはり同じ意見だった。
「美味いから、御自分にとっての好みでしょう。
それは矛盾していますよ」
「では、どのように表現すれ良かったのでしょうか」
店主からの回答は、たった一単語の修正だった。
「『品質は高いが、好みではない』。品質が高いから、好みではなくても飲めたんだと思い ますよ」
喉に刺さった魚の骨が取れた気分だった。
松本拓也