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untitled- 成冨 義文

私は、大学生になる少し前頃(つまり浪人中)からコーヒーが好きになった。

コーヒーを飲む場所と言えば喫茶店という時代だった。そして喫茶店はいたる所に あった。重厚な店構え、おしゃれな看板、赤い窓枠、などに惹かれて私はあちこち の喫茶店に立ち寄った。

 

そしていつの間にかマッチを集めることが習慣となった。たばこはどこでも吸える 時代で、大概の喫茶店にマッチは置いてあった。

 

店の外観や内装、そしてコーヒーの味に店の経営者は多大な精力を注いだと思う が、マッチ箱にもこだわったことだろう。随分と意匠を凝らしたマッチが少なくな かった。4センチ✖6 センチ、厚さ 7 ミリほどのマッチ箱に店の個性が表現されてい て収集物として悪くなかった。卒業するまでに多分五百以上は集めていたはずだ。

 

就職活動の際の履歴書の趣味の欄に「マッチ収集」と書いていたほどだ。珍しく 最終面接まで進んだ会社があり、そのマッチ収集についていろいろ尋ねられた。残 念ながら不採用だったが、マッチ収集というのがまずかったかなとか、答え方がま ずかったかなとか悩んだものだ。その後引っ越しの際、マッチをなくしてしまった のが今は悔やまれる。

 

最近、コーヒーを飲みにコーヒー屋さん(喫茶店とは違う)によく行く。どこも コーヒーがおいしい。ただ、かつてのマッチ収集家からするとマッチがないのが寂 しい。ある意味、マッチは喫茶店の名刺のようなものだったろう。

 

マッチに変わる、店独自のカードのようなものがあれば、私はまたカード収集に 情熱を注ぐかもしれない。大学生だった頃と同じように、時間はたっぷりある。

 

成冨 義文

昭和の時代、喫茶店のマッチを収集している人はたくさんいました。 あのマッチはみんなどこへ消えたのだろうかと、遠い記憶をたどりたくなる、 そんな喚起力のあるエッセイです。

 

藤原 智美 ( 第 107 回芥川賞受賞作家)

フクオカコーヒーフェスティバル実行委員会

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