とある休日の朝、ふと懐かしい風景を思い出す。昔遊んだ遊園地ではない。幼い ながらも必死に登った数百メートルの山でもない。思い出したのは生まれて一度も訪れたことの無い喫茶店だった。
なぜだろう。身体が無性に行きたがっている。小さい頃はよく見せ前を通ったもの だが、近頃前を通ることが無くすっかりご無沙汰だった。黒い雲がかかる巳の刻。
私は外へと駆り出された。
電車に揺られて小一時間。降り立ったのは、とある地方の繁華街。私は未だ人の 活気あふれる商店街を、ただ黙々と歩いていく。人気の少ない路地に入ると、そこには記憶の片隅にある古びた喫茶店があった。
不思議な感覚だった。身体が望んで訪れた場所なのに、扉を開けようとしない。 幼き頃に抱いた幻想が壊れてしまうのではないか。不安に思ったのだろう。だが、暫くすると、その不安が徐々に興味に変わっていった。
そっと扉を開く。思いの外広い店内に少し驚いたものの、なんだか温かく、ほっこりする雰囲気に満たされていた。
案内されるがまま席に着く。年季の入った椅子は「ぐぐーっ」と沈む。ランチのオムライスセット注文。待っている間、私はメニュー表とにらめっこしていた。
待つこと数十分。出てきたオムライスは、真っ赤なケチャップがかかったシンプ ルな見た目だった。しかし口に入れた瞬間、形容しがたい旨味が口いっぱいに広が り、私の食欲を刺激していた。食後に出てきたコーヒーには、一体何万人を魅了し ていったのか。甘み、苦味、酸味すべてがバランスよく調和された一杯は、心を幸福感で満たした。
会計を済ませ帰路についたとき、私は今日ここに来た理由がわかった。来年には 旅立つこの地で朧げな記憶を現実に、そして確かにその場所に来たと身体に刻みたかったのだ、と。
梶原規史