子供の頃から、私は喫茶店が好きだった。 祖父や親の用事に付き合った後に飲むアイスココアの味。
「ウインナーコーヒーってウインナー乗ってないやん?」 と言った自分を、今でもほんのりと覚えている。
大人になり、働いて、気持ちに余裕がなくなり、息苦しさを感じていたとき、私は 喫茶店で働き始めた。
仕事を始めると、それまで自分が生きてきた世界がとても小さいものに思えてきた。
オーナー夫妻や同僚、お客さん、これまで出会わなかった人々に出会い、いろんな 世界の未知の話を聞いたからだ。
その中で、みんなそれぞれ闘ったり、悩んだり、 各々の人生を生きているのだと、改めて知った。
気がつくと私は、そういう生活を 7 年間続け、いつの間にかカウンター内でコーヒーを淹れていた。いまだにサイフォンの原理は分かるようで分からないのだけれど。
しかし今年の春、その生活は終わりを告げた。働いていた店は 42 年間の幕を閉じた。 毎日の一杯のコーヒーで、オーナーたちはどれだけの人と出会ったのだろう。
私が 出会っただけでもかなりの数なのだから、彼らは、と想像することは容易いことで はない。
素晴らしい仲間との出会いを紡いでくれた、コーヒーに感謝。
街の様子は時代とともに、どんどん変わっていく。コーヒーの種類も淹れ方も、カ ップもストローも。店の形式だってそうである。
一方、そんな中でも変わらないことがある。私は今日も、明日もこれからもコーヒ ーを飲む。そして、街角には今日もコーヒーの香りが漂っている。