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untitled-竹下 舞

たぶん私にはコーヒーの何たるかはわかっていない。

 

学生時代、毎日せっせとカフェインを摂取している A と、その周りの人達とコーヒ ーを飲みに行っていた。

 

ドアを開けたら線路が見えたりするコーヒー屋さんや、路地を通らねばたどり着け ない喫茶店など色々巡った。

 

A が苦味について語りだすと、周りもうんうんと相槌を打つ。

A が産地を選び出すと、周りは被らないように違う産地を選ぶ。

みんながこだわりホットコーヒーを飲んでいる中、私は一人アイスコーヒーを飲む。 A は「やっぱり通は違うね」なんて言う。

実はみんな、焙煎の度合いや産地を嗅ぎ分けながら、味蕾を駆使して苦味の中から 他の味覚を探しあてていて、アイスを頼む私を憐れんで、いつかホットコーヒーの 良さを教えてあげようと親切心から私の口に熱いコーヒーを注ぎ込んでくるかもし れない。

 

でももしかしたら、友人達はコーヒーについてうんちくを語りたいだけで、この黒 い液体の味なんて全く理解しておらず、アイスコーヒーを飲んでいる私こそがこの 液体の理解者なのかもしれない。

 

そんなふざけた妄想をしながら、珈琲博物館に行ってコーヒーの歴史から学んだが、 やっぱりコーヒーが“好き”ということ以外よくわからなかった。

 

産地ごとに飲み比べても傾向をつかめないし、焙煎の度合いの違いも当てられない。 もしも来世で彼女ができて、「私のどこが“好き”なの?」と問い詰められてもきっ と上手く答えられない。そういうのに似ているかもしれない。

 

なんとなく、マスターがコーヒーごとにカップを変えたり、普段食べない外国のお 菓子が沿添えられたり、豆を挽く音が店内に響いたりする特別な空間で飲むコーヒ ーが好きなのだ。

 

味の違いは語れないけど、やっぱり美味しい。

働いていると、行きたいときにその特別な空間に行けなくなる。

今月は時間を作って、そのコーヒーの香りが充満している空間に足を運んでみよう。

 

竹下 舞

「好き」という感情は、分析するものではないようです。 「嫌い」というと、なぜそうなのか考えなくてはならない事もありますが、「好き」 はただ「好き」でいいのですね。

 

藤原智美 ( 第 107 回芥川賞受賞作家)

フクオカコーヒーフェスティバル実行委員会

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